今回の参加メンバーは岡山から藤沢徒手医学研究所の藤沢先生と芦田治療室の芦田先生、岐阜の理学療法士の佐藤先生から参加希望があり、モントリオールからAlexと私(坂田)の5名で行いました。
今回も私とアレックス以外は初めてのインターヴィジョンであり、また初対面の同士もいたり、そしてインターヴィジョンって何かまだよくわかっていない、ということもあって、互いの自己紹介の前に私から一枚スライドの簡単な説明から始めることにしました。
スライドの上から1番と2番は「これは英語のレッスンではないですよ」と「アレックスになにか聞く時間ではないよ」と。
どうしても日本人は英語が関わってくると、
「英語できないので…」とか「英語の勉強?」とかなってしまったり、「AlexっていうD.O.になんか質問する機会ですよね?」となったり、趣旨がうまく伝わらないなと思うので、冒頭に簡単な説明をすることにしました。
私もAlexからインターヴィジョンという言葉を教えてもらって、「Intervision」と検索してもドイツのテレビ局が出てくるだけ…(^_^;)
Interというのは接頭詞として、
- between; among: interagency
- mutually; reciprocally: interactive
という意味があり、要は日本語では「同列/同等な関係性」という捉え方だと思います。
基本的には臨床上困っていることや理解できないことを相談するような機会で、
「こんな患者さんがいるんだけど、なかなかうまく行かなくて、なんかいいアイデアはないかな?」といったことや、何かしらのテーマを誰かが出して、それについて話していく。
これまでの例でいえば「トラディショナルオステオパシーって何?どういう定義?」や「リリースという現象/感覚について」参加者で話し合いました。
「トラディショナルオステオパシー(伝統的なオステオパシー)」といった言葉一つをとっても、それぞれ違う捉え方、定義で捉えていたり、、、
それはとてもオステオパシーの大きな問題で、当然同じ言葉を使う限りは同じ定義を共有している必要があるのに、そうでないのであるならば、私達(オステオパス)は何について話しているのか?となります。
でも、そのことが「なんとなく同じ解釈」ではなく、『みんなちょっと違う…』事がわかって、そこから話出して、互いの理解が進んでいくのはいつも非常に興味深い経験で、今まで少なくとも私にはありませんでした。
だからといって、インターヴィジョンが目指すのは明確な答えや共通概念に至らなければならないのではなく、話をするその過程自体に意味があるという考えです。
参加者同士が様々な役割(質問、解答、促進、提案、フォロー、聞き役…)を自発的にこなすことが理想なのかもしれませんが、何かを発言する義務はなく、唯一のルールは「互いの意見の違いを尊重し合う姿勢でいること」かなと思います。
それによって参加者同士が安心できる場所になり、なかなか話せない、聞けない内容が出てくるのかと思っています。
またインターヴィジョンを2年近く行ってきて思うのが、「違う言語を使う利点」についてです。
上記にも書いたように、私達日本人の英語に対する抵抗感というのは結構根深いものだと私自身を含めて感じていて、コロナ禍直前から参加しているUGOCtetsugakuに参加させていただいて、そこからもあえて母国語を使わずに何かについて話すことの利点を感じてきました。
それが通訳を通す形であったとしても、言葉が通じない人に対して、違う言語を使って何かを伝えるには、日本人同士のような共通概念がある前提で話すことはできません。
だからこそ自分自身の言葉に時間をかけて発言し、よりわかりやすく伝えようとするプロセス自体に価値があるのではないかと強く感じています。
今回はインターヴィジョンの説明で長くなってしまったので、内容は次回にと思います。
お電話ありがとうございます、
京都オステオパシーセンターOQでございます。