治療師紹介
坂田 雄亮(さかた ゆうすけ)
1982年(昭和57年)戌年生まれ A型 魚座
京都西陣生まれの西陣育ち
平成18年3月佛眼鍼灸理療学校本科卒業
厚生労働大臣認定国家資格
あん摩マッサージ指圧師免許 第124771号 平成18年4月4日交付
はり師免許 第131752号 平成18年4月4日交付
きゅう師免許 第131582号 平成18年4月4日交付
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所属協会・学会
OQ(オク)治療室の由来
三木茂夫さんと言う解剖学者が提唱された『憶』と言う感覚から名付けました。
この『憶』と言う言葉は、
『暑くも寒くもない心地の良い肉体のコンディション』
を指しています。
東洋医学的に言えば「中庸(ちゅうよう)」に近い概念だと思います。
「苦」というのは誰もが避けたいものだと思いますが、実は「楽」もまた、最もバランスが取れた中立から外れた状態であり、行き過ぎればある意味で異常とも言えるのです。
ただ、『憶』だとちょっと怖いので、、、
下の図のような過程を経てOQ(オク)となったのです。
どんな人なの?
ご自身の体を預ける人間が「いったいどんな人なの?」と思うのは当たり前のことです。
ここでは「少しでも治療師坂田を知ってもらう」ために、いろいろと書いております。
ご興味のある方は読んでみて下さい。
「幼少の頃」
父が少林寺の師範をし、母がヨガのインストラクターをしていた経緯を持つ家庭に生まれ、幼い頃から代替医療(鍼灸や整体など・・・)に親しんで育ちました。
「中学生〜高校生」クライミング三昧の日々・・・

中学校3年生の時にフリークライミングと出会い、すぐに没頭しました。
さらにクライミングに集中するため、単位制の高校に進学しました。
当時は今よりももっとクライミング人口は少なく、関西にはまともなクライミングジムが出来島にしかなく、京都から電車を乗り継ぎ、クライミングジムに出かけ、練習→学校→アルバイト→練習・・・と言うクライミング三昧の高校生活を送っていました。
「怪我から目標の転機」
高校2年生の時、登っている最中に足が滑り、不意に右の薬指だけに負荷がかったために、薬指の靭帯を伸ばしてしまったため、クライミングの休止を余儀なくされました。
当時全てを捧げていた生き甲斐とも言えるクライミングが出来ず、塞ぎ込んでいました。
そんな時、当時美術コースの顧問をしていた先生にとある治療師を紹介してもらい、治療を受けることになったのです。
その美術の先生なんですが、ただの美術の先生ではなく、「マッサージペインティング」なる作品を手掛けておられ、カイロプラクティックの学校にまで通っている先生だったのです。

美術解剖学授業風景1998年
その先生から紹介してもらった、カイロプラクターの先生も大変面白い先生で、勿論カイロプラクティックらしいアジャスト(矯正)もするのですが、気功もされており、怪我をした薬指を触っただけで、怪我をした状況まで言い当てられ、当時の私はものすごく感動してしまったのでした。
怪我の治療以外にもその先生の治療室に通うようになり、気功治療でクルクル回されたりしているうちに、自分もいつの間にか気功が出来るようになってしまいました。
学校で友達に気功を掛けたり、マッサージしたりしているうちに、クライミングよりも人間の体や、治療に興味が出てきてしまい、将来の目標が、クライマーから治療師へと変わってしまったのでした。
「オステオパシーとの出会い」
何かに夢中になるとまっしぐらになる私は、様々な治療関係の本を読みあさり、アンドルー・ワイルM,D,著の「癒す心・治る力」と言う本と出会いました。
その著書の第2章「わが家の裏庭で」に登場するD,O,(ドクター・オブ・オステオパシー)のロバート・フルフォード先生の存在を知り、本の中で語られる超人的手技とオステオパシー哲学に感銘をを受けました。
このフルフォード先生をもっと知りたいと思っていた最中に「いのちの輝き」と言う、フルフォード先生著の本が出版されました。
本の中で、とにかく平易な言葉を使い、ジョークも交え、しかも奥深く、本質的な内容に私は「オステオパシーをやろう!!」と心に決めました。
当時、関西でオステオパシーを学ぶには医療国家資格(鍼灸師・マッサージ師・理学療法士等)が必要だったので、興味のあった鍼灸学校を受験することに決めたのでした。
「受験失敗〜3年間のアルバイト生活」
京都にある某鍼灸大学を推薦入試で受験するも、失敗・・・ 一般入試に掛けようとしていた矢先に、父の会社の倒産・・・ 医学部程ではないにしろ多額の授業料がかかる大学を諦め、アルバイトをして授業料を貯めることにしました。
「鍼灸マッサージ専門学校入学」
3年間のアルバイト生活の後、やっとの思いで京都の某鍼灸マッサージ専門学校に入学したものの、その学校では鍼灸の面白さは分からず、オステオパシーの本ばかり読んでいました(苦笑)
「整骨院勤務〜開業」
卒業後、アルバイトをしていた某最大手スポーツクラブ内の整骨院で3年間副院長として勤め、開業を決意し、地元京都の本能寺前のマンションの一室で開業し、現在に至っております。















