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治療師紹介

右:オク治療室代表 坂田 雄亮(さかた ゆうすけ) 坂田の脳の中       

左:OQL鍼灸整体院代表 村斎 友子(むらさい ゆうこ)OQL鍼灸整体院

1982年(昭和57年)戌年生まれ A型 魚座

京都西陣生まれの西陣育ち

平成18年3月佛眼鍼灸理療学校本科卒業

英国クラシカルオステオパシー学会会員 Member of Institute of Classical Osteopathy (M.I.C.O)

JACO認定 クラシカルオステオパス

                           

厚生労働大臣認定国家資格

 あん摩マッサージ指圧師免許 第124771号 平成18年4月4日交付

 はり師免許 第131752号 平成18年4月4日交付

 きゅう師免許 第131582号 平成18年4月4日交付

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       (クリックで拡大/縮小できます)

これまでの受講履歴はこちらをご参照ください。

 

所属協会・学会

日本クラシカルオステオパシー協会(JACO) 会員

コ・メディカル形態機能学会 会員

マニュアルメディスン研究会 会員

日本オステオパシープロフェッショナル協会(JOPA) 2006年10月入会〜2012年12月退会

日本クラシカルオステオパシー研究会(JICO) 2010年6月入会〜2012年5月退会

 

 

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()治療室の由来

 

三木茂夫さんと言う解剖学者が提唱された『憶』と言う感覚から名付けました。

この『憶』と言う言葉は、

 

『暑くも寒くもない心地の良い肉体のコンディション』

 

を指しています。

東洋医学的に言えば「中庸(ちゅうよう)」に近い概念だと思います。

 

「苦」というのは誰もが避けたいものだと思いますが、実は「楽」もまた、最もバランスが取れた中立から外れた状態であり、行き過ぎればある意味で異常とも言えるのです。

 

ただ、『憶』だとちょっと怖いので、、、

下の図のような過程を経て()となったのです。

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なぜ、Internationalなの?

 

2009年に治療室を寺町御池のマンションから四条大宮の3階建てに移転するにあたり、2階は私が、3階はスペイン人のオステオパス(Diploma of Osteopathy)と共に働くことになりました。

そこで、日本人オステオパスと海外オステオパスのWコンビと言うことでInternationalと院名の頭に付けることにしました。

Highslide JS☜雑誌にも取り上げてもらいました。

残念ながら、彼は半年程して諸事情でスペインに帰らなければならなくなってしまったため、その名残のようなものです。

とは言え、Internationalの名称のおかげか外国人の方にも多く来ていただいております。

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どんな人なの?

ご自身の体を預ける人間が「いったいどんな人なの?」と思うのは当たり前のことです。

ここでは「少しでも治療師坂田を知ってもらう」ために、いろいろと書いております。

ご興味のある方は読んでみて下さい。

 

「幼少の頃」

父が少林寺の師範をし、母がヨガのインストラクターをしていた経緯を持つ家庭に生まれ、幼い頃から代替医療(鍼灸や整体など・・・)に親しんで育ちました。

 

「中学生〜高校生」クライミング三昧の日々・・・

中学校3年生の時にフリークライミングと出会い没頭。

さらにクライミングに集中するため、単位制の高校に進学しました。

当時は今よりももっとクライミング人口は少なく、関西にはまともなクライミングジムが出来島にしかなく、京都から電車を乗り継ぎ、クライミングジムに出かけ、練習→学校→アルバイト→練習・・・と言うクライミング三昧の高校生活を送っていました。

 

「怪我から目標の転換」

高校2年生の時、登っている最中に足が滑り、不意に右の薬指だけに負荷がかかり薬指の靭帯を伸ばしてしまったためにクライミングの休止を余儀なくされました。

当時全てを捧げていた生き甲斐とも言えるクライミングが出来ず、塞ぎ込んでいました。

そんな時、当時美術コースの顧問をしていた先生にとある治療師を紹介してもらい、治療を受けることになったのです。

その美術の先生なんですが、ただの美術の先生ではなく「マッサージペインティング」なる作品を手掛けておられ、カイロプラクティックの学校にまで通っている先生だったのです。

              美術解剖学授業風景1998年

その先生から紹介してもらった、カイロプラクターの先生も大変面白い先生で、勿論カイロプラクティックらしいアジャスト(矯正)もされていたのですが、気功もされており怪我をした薬指を触っただけで、その時の状況まで言い当てられました。

凄い感覚に当時の私はものすごく感動してしまったのでした。

 

怪我の治療以外にもその先生の治療室に通うようになり、気功治療でクルクル回されたりしているうちに、自分もいつの間にか気功が出来るようになっていたのです。

学校で友達に気功を掛けたり、マッサージしたりしているうちに、クライミングよりも人間の体や治療に興味が出てきてしまい、将来の目標がクライマーから治療師へと自然と変わりました。

 

「オステオパシーとの出会い」

何かに夢中になるとまっしぐらになる私は、様々な治療関係の本を読みあさり、アンドルー・ワイルM,D,著の「癒す心・治る力」と言う本と出会いました。

その著書の第2章「わが家の裏庭で」に登場するD,O,(ドクター・オブ・オステオパシー)のロバート・フルフォード先生の存在を知り、本の中で語られる超人的手技とオステオパシー哲学に感銘をを受けました。

このフルフォード先生をもっと知りたいと思っていた最中に「いのちの輝き」と言う、フルフォード先生が書かれた本が出版されました。

本の中で、とにかく平易な言葉を使い、時にジョークも交え、しかも奥深く、本質的な内容に私は「オステオパシーをやろう!!」と決心。

当時、関西でオステオパシーを学ぶには医療国家資格(鍼灸師・マッサージ師・理学療法士等)が必要だったので、興味のあった鍼灸学校を受験することに決めたのでした。

 

「受験失敗〜3年間のアルバイト生活」

京都にある某鍼灸大学を推薦入試で受験するも、失敗・・・ 一般入試に掛けようとしていた矢先に、父の会社の倒産・・・ 医学部程ではないにしろ多額の授業料がかかる大学を諦め、アルバイトをして授業料を貯めることにしました。

京都駅すぐの複合施設内の飲食店で朝6時〜12時までは1階のカフェで働き、12時〜18時までは2階のレストランで働き、18時〜23時までは8階のラウンジで働く性活を2年続け、その他にもパチンコ店・バー・引越し・イベントでのきぐるみetc...と、吐血と下血を経験しながら専門学校の学費を稼ぎました。

 

「鍼灸マッサージ専門学校入学」

3年間のアルバイト生活の後、やっとの思いで京都の某鍼灸マッサージ専門学校に入学したものの、その学校では鍼灸の面白さは分からず、オステオパシーの本ばかり読んでいました。。。(苦笑)

 

「整骨院勤務」

卒業後、アルバイトをしていた某最大手スポーツクラブ内の整骨院で3年間副院長として勤めました。

ちなみに、当時の院長は専門学校時代の同僚で関西ボディービルチャンピオンです。

 

「開業」

2007年6月19日に寺町御池商店街内のマンションの一室を借りて「オク治療室」をスタートさせました。

 

「店舗移転」

2009年4月 寺町御池から四条大宮の3階建て店舗に移転。

 

「1階改装」

2012年11月1階駐車場部分を改装し、オク治療室を2階から1階に移しました。

無垢の木をふんだんに使った空間です。

 

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