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私の頭の中

このページでは私が日々治療に当たり思うことや、心がけていること、その他の随想録です。思いつくままに乱文を加筆していきます。

ご興味のある方だけ、下にお進みください。

 

□なぜオステオパシーなのか?

□系統があることのすばらしさ

□この仕事の意義

□極めること

□患者でも患者様でもなく「患者さん」

なぜオステオパシーなのか?

他の整体や鍼灸マッサージではなく、オステオパシーを治療のメインに据えるのか説明したいと思います。

オステオパシーの素晴らしいところは症状を呈している疾患の過程を理解する学問だからです。

 

人の体を触れば触る程、人それぞれの個性や状態は違います。

その個性を理解するためには人あるいは自然の「本質」「原型」を理解することにだと考えています。

 

「私達が景色を眺めたとき、木と建物、人と他の動物、生物と非生物を瞬時に区別することができる。これは無意識的にそのものの普遍的要素「原型」を見ているからである」

 

解剖学者の三木成夫先生はこの「原型」をこのように述べていたと記憶しています。

そして、それらのどのような異形もそのバリエーションに過ぎないのだと。

 

臨床に入った何も分からない時から、徐々にその人の状態を理解しようと苦心するようになり、そのあまりの多様性には戸惑うばかりでした。

もちろん、今もその違いに驚きと戸惑いを覚えることがありますが、臨床を深めるにつれ上記の三木先生の言葉通り、この「原型」を理解することが治療の効果を高め、成功に導く本質的な道だと思うようになりました。

 

オステオパシーの哲学や原理原則は人の本質を理解する「整えられた道」なのではないかと感じています。

どのような世界、特に技法の世界、職人の世界と言うものは長く険しい道であり、終わりの見えないものだと思います。

ただ闇雲に努力していても辿り着くことはできず、近道も無い道です。

この道を目指す上で必要な大きな要素として、その思想・哲学、そして師の存在が大きな要素と考えています。

 

 

創始者であるアンドリュー・テイラー・スティル先生は病気の始まりを筋骨格系の問題(体の歪み)に求めました。

 

加筆予定 

系統があるというすばらしさ

私がオステオパシーを学び始めた頃〜今まで、テクニックを追うことを中心にしてきまいりました。

実臨床での即戦力とならないことや思想に捕われてしまうことを嫌っていたのか、あまり哲学や思想を深めて勉強していませんでした。

 

オステオパシーに出会い10年以上が経ち、ようやく思想・哲学の重要性が少し分かってきたように思います。

 

 

加筆予定

この仕事の意義、喜び

「病める人、苦しむ人の助けになりたい」

「人の喜ぶ顔が見たい」

この仕事を目指す人の動機の多くは上記のような想いです。

しかし、なかなか全ての人を助け、満足しを得られるような治療は難しいものです。

ある種、ネガティブな考え方によっては、私達の仕事はある意味では「負の仕事」なのかもしれません。

病、愁訴と言う人の苦に対して、事を行い、お金を頂く職業です。

救急救命医のようにすぐさまなんらかの処置を施さなければ死に至るような病を扱う訳ではありません。(初期のオステオパスは急性の感染症患者を治療していました。)

 

人はいずれ死ぬ、致死率100%と言う現実の中で「治癒」とは「健康」とは非常に動的な中の一部分を切り取った表現に過ぎないのかもしれません。

 

逆にポジティブに見ることができるならば、人の人生とはそのような刹那の連続であっても、「今この瞬間」の幸せに貢献できるのであれば、それは素晴らしい仕事と言えるとも思えます。

 

技術を求め、極めて行く過程には無数の困難やそれと同じだけの喜びがあります。

 

例えば物作りの職人ならば、100回に1度の成功する品物が10回に1度成功するようになり、10回中9回成功するようになり、完璧に至る。

非常に精巧な品物、繊細な料理、日々変化する環境と自身のコンディションとの兼ね合い。

一流と称されるスポーツ選手や音楽家も同様かと思います。

 

結果を求めること、私達の世界では患者さんの改善、満足なのかもしれませんが、それだけを求めることだけが術者の喜びではありません。

一般の登山者が山の頂上を目指し、そこに立った達成感を求めるのに対し、良き登山家は登山の過程、想像を絶する苦しみや危険を味わい、楽しみ、喜びを得ることができる人です。

 

優勝すること、評価を得ることだけを目標にしているだけでは恐らく、一流と言うのは到達できるものではなく、その日々の淡々とした練習、過程を楽しめる者だけが辿り着けるのだと感じます。

 

治療家の世界も同様で、

今まで分からなかった体のことが分かること。

出来なかった技術ができるようになること。

知識と技術が結びつき理解できた瞬間。

 

刹那の喜びの積み重ねが恐らくは道しるべであり、人生のご褒美であるのではないかと感じています。

 

また、1度出来たことはマンネリに至る道でもあり、そこには以前あった喜びは失われていきます。

しかし、そのマンネリの中に成長する種はあり、それを日々どのように見出し、どう育てていくかなのだと思います。

術者の喜びに伴い、また患者さんにも喜んでいただける。

 

そう考えるとこの仕事は蜜に満ちているのかもしれません。

 

オステオパシー、カイロプラクティックには同様の思想があります。

 

「哲学」であり「科学」てきであり「芸術」であると。

 

素晴らしい音楽家、技術者、哲学者、何かを突き詰めた人にはそこはかとない魅力や美しさがあり、「芸術」であり、到達者はアーティストだと思います。

 

その道の技巧的な要素はその道の人にしか分かり得ない者です。

しかも、ある程度近づか無ければその凄さを同じ道の者さえ理解することはできません。

ですが、その非言語的、形而上的な美しさであったり、雰囲気というのは誰にでも分かるもだと思います。

 

 

 

 

加筆予定

極めること

加筆予定

患者でも患者様でもなく『患者さん』

加筆予定